はじめまして、星の家コメット 会長の星徳夫です。
はじめに少しだけ私の生い立ちと星の家コメットが生まれて、リフォーム、新築をはじめるまでの歴史をお伝えさせていただきます。
私の出身は福島県の南会津。かやぶき屋根で囲炉裏のある曲り家といわれる家に生まれ育ちました。
曲り家とは母屋と馬屋が一体となったL型の家のことを言います。会津伝統のこの曲り家は100年以上持つ家です。
さて、その田舎から集団就職で合板メーカーである大手の株式会社永大産業に入社します。 兄弟の生活費や学費もまかなう必要があり、東京、大阪、宮城、栃木と転勤を繰り返しながらがむしゃらに働いて仕送りをしていました。
結婚をし、子供ができ、栃木県小山市の間々田駅前の借家に住んでいた時に1度目の転機が起こります。 永大産業が倒産したのです。 希望退職の話が上がり、私にも声がかかりました。今でいうリストラです。このまま会社に残ったとしても給料は減り、妻、2人の子供を養うには不安が大きく、愛着があり尽くしてきた会社ではありましたが、やむなく断腸の思いで退職することを決意しました。
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茨城県古河市の建材商社に再就職をし、そこでも尽力し、2年連続トップ営業マンでした。ところが、約束していた昇給はなく社長に直談判をするもけんもほろろ。
その時に 「皆が頑張っただけ評価される会社を作る!」 と決意して、この株式会社有徳が生まれたわけです。 |
有徳とは釈迦の故事の中で出てくる有徳王からもらい名づけました。 有徳王とは釈迦の前世で正法「正しくも多くの人のために身命を賭して生きる」ことを貫いた王のことです。かっこいい言い方をすれば、妻、子供のために正しい会社を命がけで作るという自分と有徳王を重ねていたのかもしれません。
良くも悪くもこの有徳と言う名は今、代表取締役である息子にも色濃く引き継がれております。
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残っていた退職金で何とか現在の猿島郡境町に小さな家と倉庫を建てて建材商社を開始しました。 トップセールスだった自分にとってはどうにかなるだろうと思っていましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。
ベニヤ板をトラックに積んで、地元の工務店を1日10件、20件、同じ会社に何10回とかよってもベニヤ板の1枚も買ってもらえませんでした。相手にしてみれば正直迷惑だったと思います。 その時「これまでは、会社の力を自分の力と思っていた。もっと謙虚にしなくてはいけない」と気づきました。
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何10回も訪問してはじめてベニヤ板を買っていただけるお客様に出会いました。 今でもはっきり覚えており本当に感謝しております。少しずつお客様が増えていく中で、単に材木だけではダメなことはそれまでの商社での経験でわかっていました。ユニットバス、システムキッチンへの販路拡大が必要でした。
また、その際の問題点も掴んでいました。 それは業界内では普通であった流通システムです。メーカーからお客様の元に建材が届くまであまりにも多くの会社を経由することで小回りが効かず、現場での緊急事態に即対応できないことでした。 そこに目をつけていたので、自社に正社員としてユニットバスとシステムキッチンの工事ができる人間を養成し、工務店さんの手間と現場での緊急事態に即対応していく体制を作り、ユニットバスとシステムキッチンの販路拡大に成功しました。 この仕組みは今の有徳のリフォーム、新築事業の基本システムになっています。特にリフォームでは現場を解体してからの追加になる工事が多くあります。
そういった点で小回りと融通が効く体制は工期を伸ばすことなく完工できる点でお客様に喜んでいただいております。
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順風満帆に事業が伸びていくそう感じていた矢先、2度目の転機が訪れます。 2004年から2005年にかけて順調そうに見えていたお客様が相次いで倒産。払ってもらえない売掛金がなんと数千万円に登りました。 当時の有徳の年商は2億円ほど。建材商社は薄利多売。銀行の借入などはないものの到底会社にあるお金では払えるものではありませんでした。
弁護士さんも含め、何人の方にも相談しましたが、解決できる緒が見つかりませんでした。まさに暗中模索状態。その中で倒産した1社の社長さんが自分の持っている土地を売掛金として支払いに充てたいという話しが持ち上がり、その土地をいただけることになりました。 その土地を担保に何とか借入を起こし、星の家コメットは倒産の危機を回避できました。ほっと一息つく中で感じたことがありました。
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「豊富な現場の経験を生かして工務店業をはじめてもいいのではないのか?」ということでした。
倒産の危機の10年ほど前から知人、友人を中心に工事を直接請け負う元請けの仕事をしており、その際に直接言われる「ありがとう!」の言葉と笑顔が忘れられないでいました。 「これからはお客様の笑顔を見て生きていこう」 これが今の有徳の星のリフォームコメット事業、星の家コメットの新築事業のはじまりでした。
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